温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

トロッコ

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「ええところ見つけたで」

 夏休みのある日、次兄が僕に耳打ちした。次兄が中2で僕が小4のときだった。

「なんや」

「トロッコや、あれは気持ちいいで」

「どこや」

「ちょっと遠いけどな、道路を広げるため、今の道の横の谷を埋めているんや、あすこにあるで、日曜日は休みで誰もおらん」

 次兄の言う場所までは30分ほどもかかる村境にあった。そんなところまで遊びに行ったということが信じられないぐらいだ。

 村でも評判のわんぱくグループであった次兄らは遊ぶのも広範囲だった。僕らは家(自宅)の見える範囲で遊んでいたが次兄らは隣村へでも遊びに行っていた。

「こんどの日曜に連れて行ってやろか」

 めずらしく次兄から誘いがきた。

 次の日曜日、昼ご飯が過ぎてから家をでた。僕らの集落を抜けてさらに隣の集落も通り過ぎると、村道は山の坂になり大きく曲がって上っていった。

 大曲を上った右手の谷を埋めて直線的な道路を造っている工事現場があった。そこにトロッコが一台止まっていた。次兄グループが走ってトロッコに取り付き、村道のすぐ下まで押し上げてきた。

「乗れ」

僕とY君を乗せて次兄がトロッコの箱の後ろに立った。

「ええか」

次兄のグループが後ろから押した。

少しずつ動いていたトロッコが下り坂に入ってスピードを上げた、押していたグループは手を放して立ち止まった。

ゴー

轟音とともに、ものすごい風が顔に当たった。

「うわー、うわー」

 ものすごく早いと感じた。30メートルほどのレールが「あっ」という間に終点に近づいた。

 切れている道のその先に、このまま飛び込むかと思った、そこは深い谷だ。

「うわー、落ちる」

 僕とY君は目を瞑ってトロッコにしがみ付いた。

 トロッコは車止めにドンとぶつかって止まった。次兄が箱の後ろに付いているブレーキ棒を足で蹴ってブレーキを掛けたが、僕らを怖がらそうとする魂胆があったから最後の最後までブレーキを掛けなかったのだ。

「どうだ、恐いやろ」

 次兄の顔が得意満面であった。

「もういちど乗るか」

「いや、もういい」

 僕とY君の両足が震えていた。

「なさけないやつだ」

 次兄の顔が勝ち誇っていた。

 次兄らのグループはまだ乗るらしい。何回も押し上げてトロッコに飛び乗り歓声をあげながら下って行った。僕らは少し離れた場所に座って観ているだけだ。

 次の日曜日、次兄らのグループ3人はトロッコのところへ出かけて行った。

 もう僕らは行かなかった。

 数時間後、次兄グループが、ずいぶん早い時間に帰ってきた。

「おまえ、行かなくてよかったぞ」

 次兄が首をすぼめた。

「調子よく乗っていたらな、上の道を車で通りかかった工事の人に見つかってな。こらーって怒りながら走ってきたで、おれらは一目散で、山の中に逃げ込んだよ。工事のおっさんらは山の中までは追って来んけえ」

 それでも道路には出ず、山の中をたどって家まで帰って来たと言った。距離的には道路を歩くのと同じぐらいだ。

「そんでもな、本当に怒った人間は飛び上がるもんだな」

 次兄が両手をあげ両足を開いて飛び上がった。怒った人のまねをしたのだ。

次兄は叱られたという気はない、うまく逃げたと自慢した。

 

四日悲しやダンゴ餅

 僕の幼少期、正月三が日は毎食餅の雑煮を食べ、夜は母も一緒に花札やトランプゲームでワイワイと騒いでいた。ほんに楽しい正月だった。

 四日の朝、雑煮は小麦粉で餅の形に造ったダンゴであった。食べると粘りがなく全然うまくない、実に味気ない雑煮だった。餅の雑煮はもう来年の正月まで食べることができない。モロブタ(木製餅箱)数枚も残っている餅は焼いて食べるのだ。

「いつまでも正月気分でいてはいけない」と気を引き締める食事だったが、「もう、正月は終わってしまった」と寂しさを味わった。

 母は、仕事にかかり、夜に子とゲームをするのは正月三が日だけだった。

 今日は1月4日だ、ダンゴ餅なんて食べない。それでも1月4日は嫌いだ。

初めてのお使い

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 朝は晴れていたのに午後になって降り出した雨は勢いよく降っている。

「兄ちゃんに傘を持って行って」

 仕事をしていた母が納屋からでてきた。

 小学校へ行っている長兄と次兄へ傘を届けるのだ。

 母は、二人の兄が着古したオーバーコートを僕に着せた。身丈は足元まであった。両腕を出すため袖口を大きく折った。

 五歳の僕が二本の番傘を手に持って自分の傘をさすのは難しい。母は二本の番傘をひもで括って僕の背に斜めに結んだ。背の低い次兄がチャンバラするときに、木の枝で作った刀を背居って「佐々木小次郎だ」と言っていたのを思い出して気に入った。

 道中で落ちないよう、背にしっかりとたすき掛けに結んでくれたので、重くとも動きに不自由はない、だが、自分ではほどけない。

 僕の傘は小学校へ入学したら買ってくれるが今はない。大きな番傘をさして、意気揚々と家をでた。学校までは僕の足で30分かかる。それでも田舎の大道だから迷うことはないし寂しくもない。

 学校に着いた。

 ちょうど休憩時間らしく構内はざわついていた。

「お兄ちゃん」

 教室から体育館へ通じる廊下の窓に向かって、できるだけ大きな声で呼んだ。

「学校へ着いたら下駄箱のあるところへ入って、誰でもいいから兄ちゃんを呼んでもらうんだよ」

 母が何回も言っていたことを忘れ、窓の外に立って呼んでいた。

 校内からなんの反応もなかった。もういちど大きな声で呼んだが反応がない。

 三回目を呼び終わったとき、窓を開けて上級生らしいお姉さんが顔をだした。

「誰を呼ぶの」

 お姉さんが聴いてくれた。長兄の名を言った。

「ちょっと待ってね」

 お姉さんが顔をひっこめた。ほどなく長兄が出てきた。

「お、かっこいいな」

 僕の小次郎スタイルを長兄がほめてくれたので嬉しくなった。さきほどのお姉さんをさがしたが、お姉さんは来なかった。

 僕を生徒用の玄関へ連れて入りひもを解いて傘を取ると体が軽くなった。

 そのとき、次兄が数人の仲間と一緒に走ってきた。

「お、傘か」

 毎日僕と取っ組み合いの喧嘩ばかりしている次兄がいやに優しい顔で近寄って「傘なんかいらんけどな」と言いながら嬉しそうに長兄から受け取った。

「よし、終わった」

 誇らしい気分で学校をでた。

 カンカンカンと鳴る始業の鐘を背に聞いた。

 大道を歩いて中ほども帰って来たとき、対向してきたお姉さんが「どこへ行ったの」と言いながら近寄って来た。初めて出会った村の人だ、僕の知らない人だった。赤色のきれいな和傘をさしていた、ずいぶん軽そうな傘だった。

「兄ちゃんに傘を持って行った」

 僕は誇らしい気持ちのまま元気に言った。

「そう、賢いね」

 お姉さんは僕の前で腰をかがめて傘を広げたまま地に置いた。そして外れている僕のオーバーコートの一番上のボタンをはめてくれた。

 ふと、お姉さんの良い匂いが漂った。この香りは僕の脳裏にしっかりと残ったが、香水だと知ったのは数年後のことだ。わが家には無い香だった。

「気をつけてね」

 お姉さんは優しく僕の肩をポンとたたいた。

 ものすごくうれしくなった。

「早かったの、ちゃんとお兄ちゃんに渡したか」

 家へ帰ると母は機嫌よく僕を迎えた。

「うん、渡したよ」 

 僕の初めてのお使いは終った。

 

 

 

雨降り

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 雨あめ降れふれ かあさんが

 じゃのめで おむかえ うれしいな

 ピチピチジャブジャブ ランランラン

   童謡・雨降り

 (背景は元・温泉津小学校上村分校『現・地域会館』島根県大田市

家路

 

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 遠き山に日は落ちて・・・

 情景とメロディーだけは覚えていたが曲の題名を思い出せないでいた。

 メロディーはしっかり覚えているので学校で教わったはずだ、だとすると中学の音楽だろう。と思っていた。

 最近、やっと思い出して、ドヴォルザーク作曲の「新世界」に堀内敬三が詩を付けた唱歌「家路」だということが分かった。

 絵にしたいと筆を執った。本来はもう少し薄暗い夕方であったが、絵にはできなかった。

 一日中農作業という束縛から解き放されて心軽やかに家に帰るのが黄昏どきであった。

 今でも黄昏どきは好きだ。

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 幼少期に最も悩まされたのが蚊である。

 家に網戸はなく、戸や障子は開放したままであったから、蚊はいつも僕らにまとわりついていた。

 僕たちを襲う蚊は、やぶ蚊とイエ蚊らしいのだが、両者とも体長一センチほどもある蚊で、同じように黒に白の縞があり僕には判断がつかない。他に日本脳炎を媒介するハマダラ蚊がいると言っていたが、事実はハマダラ蚊の媒介するのはマラリア日本脳炎はコガタアカイエ蚊によるものだった。これらの蚊がどんな姿だったのかは分からなかった。当時、疫痢と日本脳炎は身近な病気で誰もが怖れていた。

 蚊は人間の血を吸うため口の針を体に刺すとき麻酔効果のある唾液を注入しているから、いつの間にか血を吸われていたと気づく程度でかゆみは後から出てきた。

 蚊に刺されないためには寄せ付けないようにする必要がある。

 夏、縁側で夕涼みのとき、横に蚊取り線香を焚くだけで、あとはウチワで追い払う程度だ。それでも僕らは生まれたときから刺されているので、後に残るような傷にはならなかった。刺された後、痒い程度だった。

 当時、夏の夜は戸締りをすることなく、戸や障子を飽けたまま寝ていたから八畳の座敷いっぱいになる蚊帳を吊っていた。

 ただ、蚊帳の中へ出入りするとき、蚊帳の下を持ってパタパタとはたき、瞬間、わが身を小さくしてすばやく入らないと蚊も一緒に侵入してきた。

「一匹の蚊の為に眠れなかった」

 朝、祖母はぼやいた。

 盆で母の実家へ行くとスプレーの殺虫剤を使っていた。スプレーは現在のような圧縮ガスを噴出させるのではなく、水鉄砲と同じ方式で圧縮空気を噴出させ太鼓のような容器に入った薬剤を吸い上げて霧状に拡散させていた。

スプレーは狙った蚊を駆除するには効果あったが空中に散布した液剤はすぐ拡散し消えて無くなった。そのため従兄らは自分の腕や首に直接かけていたが、石油のような臭いが嫌いな僕はしなかった。

中身が無くなれば補充しなければならないし農協まで買いに行かねばならないのでわが家では使わなかった。

 

定番

 

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 小中学校時代、夏休みの宿題でよく描いた絵である。

 当時の出来栄えがどのようなものだったかは、現物が残っていないので分からないが、浜辺で遊ぶ幼児、沖合に設置された飛び込み台、水平線上の入道雲と止まっているかのようにゆっくりと航行する船はいつも描いていた構図であった。

「中学生レベルやな」

 と揶揄する女房の評価から、当時の絵もこの程度かなと思ったりしている。

 

 追補:絵の場所は島根県の福光海水浴場です。右手に見えるのが蛇島、左手の松の生えている島が松島ですが松は枯れてしまい、今は岩の島だけになっています。

 この場所は、佐田啓二の「集金旅行」(1957年)及び渥美清の「男はつらいよ寅次郎恋やつれ」(1974年)のワンシーンに出ていました。

 

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   撮影:2018年11月

反抗

 

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「今日はクラシック音楽を聴きます」

 中学3年の3学期で音楽の時間だった。

 先生は壇上の奥にあるテーブルの上から蓄音機を持ち出して蓋を開けた。

 箱の横に付いているハンドルを数回まわしてから、箱の奥から伸びているアームの先に付いている、サウンドボックスと呼ばれる空飛ぶ円盤のようなものに2センチほどもある鉄の針を取り付けた。

竹串の先端のような形の針だった。

「ベートーベンの月光だよ」

 先生は慎重に、回転しているレコード盤の一番端に載せた。

 ザーという雑音のあと音楽が出てきた。

 静かな曲だった。

 目を瞑ってしばらく聞いていると眠くなった。

 ウトウトと聞いていると、後ろの方で男生徒が隣と話し始めた。

「静かになさい」

 陶酔しきったように聞き入っていた先生がたしなめた。蓄音機には増幅器が付いていないので大音量は出せない、聞き手が騒(ざわ)めけば誰もが聴きにくくなる。

「みんなに迷惑でしょ、静かになさい」

 もういちどたしなめた。

 しばらく静かにしていた生徒がまた話し始めた。

「○○君、ここへ来なさい」

 レコード針の付いた円盤を元に戻して先生が立ち上がった。

 ふて腐った態度で、呼ばれた生徒が先生の前に立った。先生は自分より首ひとつ背の高い男生徒の頬を平手で叩いた。バシッと派手な音がした、そのとき先生がドテッと倒れた。叩かれる瞬間生徒が先生に足払いをくわせたのだ。

 みごとに倒れた。

 先生は何も言わずに教室を出て行った。

 次は担任の男先生がやって来ることは明白だった。

「怒られるやろな」

 生徒が先生に暴力をふるったらただでは済まされない、男先生全員がやってきて徹底的に張り倒されるだろう。当時は教師によるどのような制裁を受けても暴力にはならず教育指導であった。

倒した本人は停学か退学になるかもしれない。

 僕らも全員が怒られると覚悟した。

「それにしてもみごとに倒れたな」

 これから起こるであろう恐怖にみえを張って、隣の生徒に小さな声で話し掛けた、返事は返って来なかった。わずかに複雑な笑顔を見せただけだった。

 担任がやって来た。僕らは首をすくめた。

「あのなー」

 意外な言葉が出た。

「あんまり怒らすなよ、先生も短気やからな」 

 担任は怒っておらず、女性教師の弁護をしなかった。先生を倒した生徒を見るでもなく全員に話した。

「授業時間が終わるまで、ここで静かに座っていろよ」

 担任はそれだけ言って出て行った。女先生に言われて仕方なしに来た風であった。

「自分より背の高い儂(わし)を叩くとき右足が浮いたからな、そこを蹴ったらいちころだ」

 先生を倒した生徒が小さな声で言った。してやったりという顔であった。

 彼に同調する者はいなかった。

 誰もが終業のチャイムが鳴るまで、ただ静かに座っていた。

 驚いた。今まで先生に反抗した生徒なんていちども見たことがない。

 もうすぐ卒業だということが男生徒の気を大きくし、担任も怒る気にならなかったのかもしれない。

 

クヌギ

 

 わが家の裏山は雑木林だったがクヌギの大木が多かった。

 クヌギのことをマキの木と呼んでいた、といっても高野マキなどの槇ではなく、風呂焚きや台所で使う薪のことで、燃料として使うと火力が強くて、他の雑木より格段の良さがあった。

 クヌギは木炭の材料でもあった。

 ただし、裏山の木は自然災害を防ぐ目的を持っているため伐採することはせず、燃料は村境近くにあるわが家の山から切り出していた。

 

 ある年、業者が裏山にあるクヌギの木の表皮を買いに来た。表皮だけを剥ぎ取って幹には傷つけないということなので売ることにした。

業者の人は5人ほどで山に入って、慣れた手つきで皮を剥いでいった。

「何にするのか」と聞いたら、「コルクの材料だ」と言った。

 

 小学校の各教室にあったストーブはクヌギの割り木を燃やしていた。

 

 6年のとき、隣村の人が裏山の木を「タキギにしたい」と買いに来た。

 25000円だというので祖母と母は売ることにした。当時、女性の日雇い仕事で10日分だった。

「薪に必要な木だけを切るだろう」と思っていたが、その人たちは1400坪ほどもある裏山を丸裸にしてしまった。

  これには祖母と母は驚いていた。

「そんな値段なら、うちでも欲しいよ、割り木にして売れば大儲けできたのに」

 同じ集落の人に言われて「しまった」と気づいたが後の祭りだった。雑木の値段で売ってしまったのだ。

 あれから60年、裏山はクヌギ生い茂る元の山に還っている。

中秋の名月

 

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    出た出た月が 

              まあるいまあるい まんまるい

    盆のような月が

 童謡・月

 

 祖母が月見だんごとサツマイモを縁側に置いて、母はススキを徳利型の白い花瓶に生けた、これがわが家の供え物だ。

 わが家ではサツマイモを中秋の名月に合わせて初めて3個だけ収穫し、お月さまへの供え物としていた。5月に植えたばかりだから、まだ実は太くなっていない、細く筋の入ったサツマイモだった。本格的な収穫は稲刈りが終った晩秋になる。

 縁側に座っている祖母が煌々と輝く月に向かって手を合わせ念仏を唱えた。

 祖母は太陽も月も崇め信仰していた。朝、お日様を拝むときは柏手を打って祝詞をあげ、月に対しては両手を合わせ念仏を唱えている。

 M君とY君、I君兄弟が遊びに来た。僕らは夜に集まって遊ぶことはなかった。盆と今夜だけが夜遊びしても親はなにも言わない。

「村の中を散歩しようか」

 灯なしで田んぼ道を歩いても何の支障もない。

 マムシ対策に皆がゴム長靴に履き替えて出発した。

 家を離れて田んぼ道にでると満月が一層大きくきれいに見えている。

「普段の満月より大きいな」

 確かに大きいと思った。

♫出た出た月が まあるいまあるいまん丸い♪

 皆ができる限りの大声で歌った。

              ☆        ☆

 2018年9月24日、今宵は中秋の名月である。でも満月は明晩らしい?!